静かに、息をひきとりました。そしてトラウマになりました。
「後少しで、貴方の奥さんは亡くなるけど、テレビでやってるような、あんな生やさしいもんじゃないから、覚悟しといてね。」
なんて、誰も言ってくれるわけではないので、ここに書いておこうと思う。
本当に、静かに、安らかに、眠るように、息を引き取ってくれたら、まだいいのだろうけど。逝ってほしくはなかったけど。
私の妻の直接の死因は、DICという、もう、それってわかったら、もう少ししか持たない、という厄介なものだったけど、そうなった時点で、意識も殆どなかった。
目も開いたままで、口も開いたままで、息をしていた。熱も高かった。
目が乾いては可愛そう、口が乾いてはかわいそう、と目薬をさしてあげて、乾燥防止のスプレーで潤してあげて、水でふいてあげて、額にはタオルを当ててあげた。
気持ちいい、とも、なんとも、言えない状態だった。
人が亡くなる前に、どのような状態になるかを、予め勉強していたので、呼吸の状態が変わってきたときに、いよいよなんだろうな、と思いながら、ただただ、苦しむことがないように、祈っていた。
そして、そのときは、突然訪れた。
本当に、そのまま、息をしなくなった。
二日前まで、意識があって、そのときに、「あきらめないよ。」と言っていたのを思い出した。
私は、「よく頑張ったね。」と、頭をなでてあげた。
繰り返し、よく頑張ったね。本当に、よく頑張った。と言った。
半年が経とうとしているが、あのときの情景は、今でも鮮明に脳裏に焼き付いていて、
一生忘れることは、ない。
まだ今は、こうやって、書くことができるけれども、今の段階では、あの出来事は、私にとっては、最愛の人が亡くなる、トラウマでしかない。
この一連の、出来事に対して、私が思う一言は、以下の通り。
「あんまりだ。」
この一言。
これが、三年、五年と、経つと、あんなことも、あったね、と思えるのだろうか。
あるとしたら、あの世ってものがあって、そこで妻と再開したときに、
「あんなことも、あったね。」「大変だったね。」と、笑い合えるとき、なのだろうか。
だとしたら、あの世でも、合えるように、今を、まっとうに、生きて行こうと思う。